2011年7月5日 17:45
引き続き第44回大分ブロック会員大会in佐伯の模様を報告します。
2階ロビーでの結団式を終えて、分科会会場に向かっていると、
1階ロビーには日田JCの面々が集まっていました。おお、心強い。
今年卒業の三隅監事も思い出の1ページに。
まずは、9時20分から行なわれる
『覚悟の精神育成inブロック会員大会』
アカデミーグループJCプライド塾による分科会から。
日田JCよりプライド塾に出向している、
梅木君と小池君が受付を担当していました。
開会挨拶。
JCプライド塾出向者より
JCIクリード唱和、JCIMISSION唱和
JC宣言文朗読並びに綱領唱和。
担当副会長挨拶。
そして、伊藤塾長の挨拶。
講師紹介は日田JCより出向の諫元君が行ないました。
本日講演をしていただく、武田剛(タケダコウ)さん。
小学2年生の時に日中戦争、小学6年生の時に太平洋戦争が始まりました。
38歳から24年間佐伯市議会議員を勤められ、
市議引退後は自身の戦争体験を講演しています。
姉の背から見えた、空駆ける練習機「赤とんぼ」
これが私の一番古い記憶でしょうか…
ゆっくりゆっくりと、自身の幼少期から中学生までの戦争体験を
佐伯海軍航空隊の歴史と共に語っていただきました。
日中戦争では佐伯基地から派遣された部隊が南京・重慶の爆撃を行ないました。
軍隊と市民の区別なく行なわれた重慶爆撃は、ゲルニカ爆撃に次ぐ凄惨さを極め、
私達はそんな恐ろしい事に手を貸してしまったのだと後悔している。
皆静かに武田さんの言葉に耳を傾けます
各地では敗戦に次ぐ敗戦。終戦間近になると、
佐伯海軍航空隊の基地もほとんどが破壊され、
佐伯にも空襲が行なわれるようになりました。
ある日の空襲は共同防空壕に直撃弾が落ち、多くの市民が犠牲になりました。
地獄絵図とはこのことでしょうか。
泥だらけになった遺体を戸板に乗せ、何度も往復してお寺へ運んだ事を思い出します。
そして終戦の日、私達は集まり玉音放送に耳を傾けました。
『堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス』
あくる日には、山から海へとアメリカの戦闘機が帰っていきました。
700までは数えたのだけど、一度にこれほどたくさんの戦闘機を見ることはないでしょう。
呆気にとられた友人と『こんなに戦力差があったら、仕方ないのう』と話したことでした。
もっと早くに降参していたら、犠牲は少なかったのかなあと思います。
戦争では君達と同じ年頃の青年達が次々に死んでいきました。
日本には自衛隊がありますが、
軍備を増強しようとも、更に大きな力で潰されてしまいます。
我々が国を守るには、戦争を未然に防ぐ為の「外交力」が必要です。
二度と戦争という手段をとらぬように…。
伊藤塾長より武田さんへの謝辞。
そして閉会。
もうひとつの分科会は協働運動推進グループより
『領土・領海意識醸成プログラム』が10時30分より行なわれました。
こちらにも日田JCのメンバーが多数参加。
それでは開会です。
大分ブロック協議会奈良会長より挨拶。
日本青年会議所主権国家確立委員会より趣旨説明。
記憶に新しい2010年の中国漁船衝突事件、
ロシア大統領の北方領土上陸。
日本の領土が諸外国に侵犯されている状況にあります。
それでは、お答えください。
日本の領土はどこまでですか?国境のラインを引いてください。
それぞれ地図上に国境のラインを引いていきます。
知っているようで、意外に知らない日本の領土領海。
正解はこちらです。
いかがでしたか?今回の正答率は3割を下回りました。
はたしてそれで良いのだろうか?
…といったところからプログラムの開始です。
残念ながら式典リハーサルの為、私はここで席を外しました。
2階ホールでは各地青年会議所アピールブースが設置されていました。
担当は大分活性化推進グループです。末竹副会長は設営中。
それぞれ味のある事業を展開していて、とても興味深いものでした。
2階ロビーには小学生による「ありがとう」のメッセージを展示。
本当に聞きごたえのある分科会でした。
当時のことを思い出すように、時折目を閉じながらゆっくりと語る武田さん。
武田さんは今年で82歳になられます。じんと胸に沁みるものがありました。
戦争の生き証人の言葉を、私達が語り継がねばなりません。
といったところで今回の報告はこれまで。記念式典に続きます。
(記事:総務広報委員会委員長 櫻木弘三郎)
【Snap Shot】
『森ちゃ~ん、俺疲れた~』仲良しな2人。
…と思いきや、『酒臭っ、こっち寄んな!』突き放す森下委員長。
末竹副会長は昨夜のお酒が抜けていない様子でした。
奈良会長と安藤運営専務のツーショット。運営専務コメントありがとうございました。